木元貴章 インストラクターデイリーライフbyムラゴン

神奈川を中心にインストラクターとして活動しています。 木元貴章です。 今まで大船のスポーツクラブにてインストラクターをさせていただきました。 2022年4月に独立してフリーの立場です

棒高跳びとは?世界記録やポール素材の歴史

棒高跳びとは?世界記録やポール素材の歴史 木元貴章

木元貴章 陸上 陸上競技



棒高跳びは英語でポール・ボウルト(pole vault)といいます。陸上競技の中では跳躍種目の一つとなっていますが、ポールという道具を用いる点で、走り高跳びなどの跳躍(ジャンプ)とは区別され、棒高跳びの跳躍はボウルト、その競技者はボウルターと呼ばれます。


棒高跳びはもともと棒を使って、川や垣根を飛び越える技くらべから生まれたスポーツです。 木元貴章によると当初はヒッコリーやモミなどの木の棒が使われていたので、記録はせいぜい身長の2倍弱の2〜3m程度でした。その後、しなやかな竹が木の棒にかわって使われるようになり、オリンピックの種目に取り入れられてからは、記録は4m台にまで伸びました。


棒高跳びの世界最高記録は、長らくS・ブブカ選手が1994年に樹立した6m14でしたが、2014年にR・ラビレニ選手が2cm上回る6m16を、2020年にはA・デュプランティス選手がさらに2㎝上回る6m18を達成しました。これは2階建て住宅の屋根ほどの見上げるような高さです。ポールにグラスファイバーやカーボンファイバーが採用されてから棒高跳びの記録は飛躍的に伸びました。とはいえ6m超の記録はめったに出るものではありません。ポール素材のパワーが、すぐれた身体能力によって最大限に引き出されたとき、6m超という大跳躍が生み出されるのです。


 

まるで馬のようだ





20世紀前半、棒高跳びは日本の得意種目でした。1936年のベルリン五輪の棒高跳びでは、西田修平・大江季雄両選手が長時間にわたる熱闘の末、2位・3位に入賞。両選手は帰国後、互いの健闘をたたえるため、銀メダル・銅メダルを2つに切断してつなぎ合わせて記念にしたというのは有名なエピソードです。彼らが使っていたのも竹のポールでした。その後、金属のポールも使われましたが、記録はやはり4m台にとどまっていました。


木元貴章


グラスファイバー製のグラスポールが登場して棒高跳びに大革命が訪れるのは1960年代の初頭です。 グラスファイバーとはガラス繊維のことで、それを用いた材料をGFRP(ガラス繊維強化プラスチックス)といいいます。これはガラス繊維を熱硬化性プラスチックなどの中に分散して成型・硬化させたものです。
竹はしなやかですが、曲げていけば、ついには折れてしまいます。しかし、 GFRP製のグラスポールは360度曲げても折れることはありません。しなやかさの具合を細かく調整して製造することもでき、棒高跳びのポールに最適の素材として採用されたのです。


こうして、それまで、高さの限界といわれていた16フィート(4m87)が、1962年にグラスポールによってクリアされるや、1963年には5mも突破。その後もどんどん記録が塗り替えられ、1985年にはS・ブブカ選手によって6mの高さを超えるまで至りました。用具の素材がこれほど記録に影響を与えた陸上競技の種目は、棒高跳びをおいてほかにありません。